微生物のユニークな機能の探索・開発と産業への利用
-くらしに役立つ微生物-

大学院農学研究科 教授 清水 昌


微生物の資源大国日本と微生物に優しい日本人

 京都比叡山の麓に曼殊院という小さなお寺があります。近くに詩仙堂や修学院離宮があり、新緑や紅葉の季節になると訪問者でにぎわいます。しかし、お寺の一隅に菌塚があるのを知っている人は少ないと思います。私達のくらしを豊かにするために犠牲になった微生物たち、この世で一番小さな無数の命に感謝とお礼の気持を込めて造られたものです。ハサミや針などの供養と同じように、物言わぬ者たちに対する日本人の優しい心情の表われの一つかと思います。
 私達は微生物に対して、O-157のような“ばい菌“、納豆菌のような”有用菌”と、相反するイメージを持ってますが、実は、微生物の研究も昔からこの二つのイメージに密着して発展してきました。すなわち、「如何にして微生物を殺すか」という研究と「如何にして微生物と仲良くするか」という研究です。前者は医学の領域から、後者は農学から生まれた微生物学です。日本には世界に例のないほど様々な伝統的発酵食品がありますし、また、先ほどの菌塚の話からもわかりますように、日本人は昔から大変上手に微生物と付き合ってきました。従って、微生物を扱う技術も自然と高度なものが身についていました。もともとこのような基盤があった所に、明治時代になって医学の領域の微生物学が西洋から輸入されました。両者がほど良くミックスされて、日本の微生物利用に関する分野は学問的にも産業的にも大発展を遂げるのです。
 日本は資源に乏しい国だといわれています。しかし、微生物に関しては世界に冠たる資源大国であるのをご存知でしょうか。1グラムの土の中には普通1千万から1億の微生物がいるといわれています。日本は国土が南北に細長く、山あり河あり地形も変化に富んでいます。それに四季の移り変りもあります。つまり、変化に富んだ自然があるわけです。従って、生息する微生物も多種多様で、それらは四季の変化に応じて刻々と変化します。これを砂漠の土と比較すれば、同じ1グラム中に同じ数の微生物がいると仮定しても、その豊かさが全くちがうことは容易に理解できるでしょう。数と種類が多いということは、私たちが探しさえすれば、優れた能力や未知の能力を持っている微生物と出合う可能性がきわめて高いということになります。現在、日本が微生物バイオの分野では最先進国の一つであるのもこのようなところにそのルーツがあるのです。
 ここでは、私たちのくらしを支えるユニークなミクロの働き者についてその素顔を私達の研究室(発酵研究室)の仕事を通して、紹介してみたいと思います。


世界で活躍する京大発酵研究室プロセス

1.微生物で油をつくる

 高度不飽和脂肪酸を含む油脂を医薬品や機能性食品として利用する動きが活発化していますが、これまでその豊富な供給源は知られていませんでした。私達は、農学部キャンパスの土から分離したカビがアラキドン酸を含む油脂を著量生産することを見出しました。これをきっかけに、培養の制御、変異株の育種、代謝工学や分子生物学の手法を用いて研究が展開され、様々な高度不飽和脂肪酸含有油脂の選択的大量生産が可能になっています。このような微生物がつくるユニークな油脂は、“発酵油脂”と呼ばれるようになり、新しい発酵産業分野が生まれつつあります。現在、アラキドン酸含有油脂は、乳児用粉ミルクの品質を高めるために世界的に使われています。

2.キラルテクノロジーの新兵器を開発する
 酵素のもつ優れた特徴のひとつである立体選択性を利用した、有用光学活性化合物の生産法の開発を行っています。例えば、カビにラクトン環を立体選択的に加水分解する新規酵素“ラクトナーゼ”を見出し、この反応を利用してパントテン酸の合成中間原料であるパントラクトンの光学分割法を開発しています。これは、1999年より工業生産(3,000t/y)に導入されています。また、様々な酸化還元酵素をライブラリー化し、これらの酵素を触媒モジュールとして使用する新しいケトン不斉還元システムの構築にも成功しています。これは、2000年より種々の光学活性アルコールの工業生産に利用されています。

3.グリーンケミストリーへの道を拓く
 発酵研究室で細菌に見出された“ニトリルヒドラターゼ”は様々なニトリル化合物の水和反応を効率よく行うことから、例えば、1991年よりアクリロニトリルからアクリルアミドを生産する工業プロセスに使われています(30,000t/y)。これは、汎用化学品の生産に生体触媒が利用できることを示した最初の例として、また、環境調和型のグリーンケミストリーの成功例として世界的な注目を集めています。また、同じ反応を用いて、1998年よりニコチンアミドの工業生産(3,000t/y)が開始されています。

 以上のように、私達は微生物の潜在能力を探索・開発し、それを役立てることを目標にして研究を行っています。この研究は、微生物の種としての多様性とそれらが発揮する機能の多様性に基づいたものといえます。このことは、私達の知らないユニークな機能がまだ無限にあることを意味しています。


プロフィール
1945年京都府生まれ。1968年京都大学農学部農芸化学科卒業。1973年同大学院農学研究科博士課程修了。同年、京都大学農学部文部技官、1975年同助手、1989年同助教授、1992年同教授となる。この間、1974年より1976年まで米国テキサス大学医学部(ダラス)に留学。
微生物の新機能の探索と開発の研究をとおして、様々な、代謝経路、反応、酵素を発見し、微生物のユニークな機能を利用する有用物質生産の基盤となる研究を展開してきた。これらの研究の成果は、本文で示した以外にも、コエンチームAの生産法の開発、血清遊離脂肪酸やクレアチニンの酵素的測定法の開発、洗剤や脱色剤としての微生物ペルオキシダーゼ、ラッカーゼの開発など多岐にわたって実用面でも結実している。また、微生物とは一見無関係に見えるゴマ種子の微量成分の研究から、“セサミン”の肝機能改善作用を発見し、近年のゴマ科学ルネッサンスのきっかけをつくった。
日本農芸化学会奨励賞(1986年)、日本化学会技術賞(2001年)、米国油化学会バイオテクノロジー賞(2001年)、日本ビタミン学会賞(2002年)。